スモロワンライ - 2/2

「料理」

なぁ、火のつけ方知ってるか?
両手に薪を一本ずつ持ったまま、ローは右手と左手を交互に上げたり下げたりしながら、折り畳みの椅子を組み立て終えたスモーカーに問うた。
「並べ方も知らねェのに薪なんか持ってきたのか」
「他に何を持ってくんだよ」
「炭と着火剤が一番簡単だろう」
「これと一緒に納戸にあったのが薪だったんだよ」
今日ばかりは少々呆れられたぐらいではちっとも腹が立たない。浮かれた心地で、ローは目の前に立てたばかりのバーベキューコンロを指した。隣にはさっきまでそれが入っていた段ボールを置いたままだ。よく考えたら火の近くは危ないな。日中の高い陽を反射してピカピカと光る銀色の四角いコンロはさっき初めて出した。きっと二年前のおれたちは、もっと早くにこうしてみるつもりで買ったんだろう。
「おれが組むから、お前はその薪の中からなるべく細いやつを探せ」
スモーカーは煙草に火を付けたライターを手の中でくるくると遊ばせながらコンロの前を取って代わった。ローがあんまりそそくさと荷物を作ったからやり方を知っていると思っていたらしい。残念だがまったくわからないし自分で火を付けたことなど当然ない。ライターでつけるのか?弓みたいなのでクルクルするんじゃねぇのか。おもしろがってそんな風に聞いたらスモーカーの眉間の皺が増えた。
トゲが刺さらないよう気を付けながら薪の詰まった箱をあさる。細いってどのくらいだ。額から滴る汗を袖で拭うと沖の方で波が幾重にも光った。海は静かで天気はよく、雲もない。見渡す限り砂浜には誰もいないし、海鳥の鳴く声も、浜を横切る蟹の足音もしない。今日、この世のすべての砂浜はふたりのプライベートビーチだった。

四日前、スモーカーと喧嘩をした。いつものことだが、きっかけなんか忘れた。互いに仕事に次ぐ仕事で相手の状況も心境も慮る余裕がなかった。セミの声が耳をつんざくほどで、湿度も高かった。投げつけた嫌味は倍になって返り、不要な罵倒をくっつけてさらに投げ返した。汗だくでひとり潜った布団の中、怒鳴りすぎて痛む喉で咳き込んだ。世界なんか滅んでしまえ。自分の行いを棚に上げて呪いの言葉を吐いたら、翌朝世界は滅んでいた。
ゾンビ映画の冒頭かと思ってスモーカーにしがみついたまま、いつも通勤で歩く道を探った。マンションの管理室も、徒歩7分のスーパーも、駅も、もぬけの殻だった。電車は来ていなかった。生活圏を歩き回ったが、小学校の校門からも居酒屋のゴミ置場からもゾンビは出てこなかった。あんなに鬱陶しかったセミがいなくなって清々したのに、何の音もしないとかえって、わんわんと耳鳴りがするようだった。
昨日までは恐ろしくてたまらなかったが、今朝、目覚めて唐突に閃いた。これは夏休みだ。そうとくればアウトドアだ。いつもは大の字で寝る癖に、カブトムシの幼虫みたく丸まっていた男を叩き起こし、納戸に放り込んだままほとんど忘れていたキャンプ用品を持ち出して海に来た。車で行こうと言ったのに、ガソリンがなくなったらまずいだろうと説き伏せられて、大荷物で歩いたものだから、ローもスモーカーもびっしょり汗をかいていた。

「何を焼くんだ」
よくわからないがピラミッドのような形に組んだ薪の上に、スモーカーは小さくちぎった段ボールを振りかけていた。その箱をバラしたら、どうやってコンロを持ち帰るんだよ。ローは椅子にふんぞり返って水平線を見た。どっちでもいい疑問だった。置いて帰ったっていいし、ずっとここでバーベキューしてたっていい。夏休みだから。
「魚とか」
「あ?」
「スーパーで何か買ってくればよかったかもな」
誰もいないが、レジの横にでも代金を置いておけば、後々泥棒扱いは免れるかもしれない。電気は止まっていなかったから、ATMから現金はおろせるはずだ。だが何となく気が引ける。
「冷蔵庫にまだ何かあっただろ」
「明日食べるものがなくなったら困るじゃねぇか」
「そうしたら買いに行けばいいだろう」
「海だから魚ぐらいいるかと思ったんだ」
「犬も猫も見かけねェからな。魚もどうだろうな」
スモーカーも海原に目を向ける。なんの感慨もわかない景色の中で、仁王立ちの白い男と紫煙だけがこれまでと変わらない。
「釣り竿がいるな」
「こんな遠浅じゃ役に立たねェよ」
「じゃあ泳いで獲るか」
「泳ぐのか」
特に溺れた経験があるわけでもないのに、ふたりとも海に入るのが苦手だった。プールは腰のあたりまでならセーフ、水族館は大好きなのに海水浴はだめだった。焼くものがなけりゃ、ただの焚き火じゃねぇか。せっかくふたりなんだから、楽しむために買ってあった道具をちゃんと使って、外で慣れない料理でもしたら、なんかいい感じになるんじゃねぇかと思ったんだよ。入れ物だけは一丁前の調味料を、ローは眺める。きっと賞味期限が切れている。スモーカーは何も言わず種火に息を吹きかけた。潮風にも煽られて、炎がうまれる。
「あっ!」
「どうした」
「わかめだスモーカー!あれ、わかめっぽくねぇか」
寄せては返す波の間にもぞもぞと黒っぽいものが見え隠れした。ローは靴を投げ捨て、靴下を丸めながら放り出して、ざぶざぶと足首まで突入する。おい、と後ろから声をかけられたが、目の前を揺蕩うゴミだか海藻だかわからないものを両手でつかみ上げた。ぬめるそれは指の間に絡んで気持ち悪い。思ったより長く、嵩も多いそれがずるずると海面から引き出される。ゴミではなさそうだったが終わりがどこだかわからなくて、何とかしてくれと白い男を振り返ったら、怒ってもいないが笑ってもいない、おかしな顔をしていた。
「楽しいのか」
「お前とバカンスだからな」
「わかめは茹でなきゃ食えねェぞ」
「そうなのか」
砂浜を引きずられた海藻は、恨めしそうにひらひらと風に靡いた。網はセットでついているが鍋はあっただろうか。だが茹でるにしろ焼くにしろ、火を通すという意味では同じような気もする。ローはぬるぬると滑る草に四苦八苦しながら端の薄いところを千切ると、はずしてあった網に乗っけて火にかけた。得も言われぬ匂いが立ち上る。あっという間に縮んで、燃えてしまいそうだ。臆することなく次々と千切っては乗せた。料理より科学研究の方が向いている。
スモーカーがそれを眺める。わかめの調理方法を知っているのに、ローのやることにケチをつけないのは、見守るだけの寛容さを取り戻したということか、非日常のストレスが限界にきているということか。なにせ、この世にふたりきり。
砂にまみれた裏返しの靴下を拾い、こちらへ寄越してくるその腕を引いて、米神から汗の垂れた首筋を舐めた。わかめを茹でるなら帰らねぇと。せっかく家で湯を沸かすなら、カップラーメンが食いてぇな。靴下を戻さないままにしていたら、また喧嘩になるのだろう。そうしたら明日は。
新品のコンロがパチパチと、赤い炎を上げている。