お題「ショタおに」

コンビニのセルフレジは嫌われ者だ。
特にこんな片田舎の、急ぐでもない予定がちりばめられた休日には敬遠される。
スモーカーはカゴを取らなかったことを後悔していた。人差し指と中指で挟んだ紙の上をのたくる字と、抱えた商品とを何度も確認する。最後に書かれたホットコーヒーがなければ、全部抱えて車に戻るのに。今日はドリップが飲みたい気分だったらしい。エコバッグを持っていないのでビニール袋も買わなければならない。スモーカーは嘆息してもう一度メモの1行目に戻った。人と比べて丁寧な性質というわけではない。忘れ物があったらまたこの列に並ばなくてはならないからだ。
ずるりと滑りそうになるコロッケパンのビニールをつかみ直して、なかなか進まない目の前の背中を眺めた。遅い。この店舗ではこれが通常なのだろうか。クザンがいつも寄る店には目にも留まらない速さでバーコードを読み、まったく崩れない袋詰めをするスタッフがおり、彼女の胸には金色のバッジが輝いている。平日でも朝でもないから、そういう歴戦の人間はいないのかもしれない。一歩、二歩、じりと進んだ知らない背中について進む。今日は特別急いでいるわけでなし、車で待っている保護者は10歳のスモーカーに買い物を頼むような面倒くさがりだ。こういった想定外の待ち時間について遅いとなじるようなことは日ごろからなく、ハンドルに脚をひっかけて居眠りでもしているだろう。ここ数日、昼間は眠気を誘う陽気だ。
しかしそんな気長な心持で待てる人間ばかりではない。スモーカーは同じ年の子どもより落ち着いている方だし、ちらりと首を横に伸ばして見たサッカー台の上を何かが印字された紙が通り抜けていったことから、自分の靴がしばらく動くことはないと推測できた。世の中にはこの列をおとなしく待てない人種も多く存在する。カゴの底を滑るペットボトルの音も気にせず煙草の棚をさっと確認した男がひとり、そのまま行列を後ろまで舐めるように見て舌打ちをした。青いプラスチックの格子をスモーカーの前にねじ込むようにする。のけ反った背中につられて、動くはずのなかった23センチの靴がととっと下がる。つい後ろの人にすみませんとスモーカーが小さく頭を下げた拍子に元々バランスの悪かった三角形が落ちてしまう。ツナとタマゴだ、潰れもしねぇし味も変わらねぇからと、拾うために両ひざを畳んだ。
「おい」
頭の上に黒い影が落ちる。抱えた荷物の一番上にサンドイッチを乗せて見上げると、コンビニカラーの制服が割り込んだ客の腕を引いていた。学生だろうか。ひょろっと背が高い。そのてっぺんに乗っかっている小さな顔から金色の眼光が男を貫いていた。いくら上背があるとはいえ、相手はその店員よりずいぶん大人の男だ。濁った唸り声を上げすごんでいる。たった一人でレジを担っていた店員が出てきてしまったおかげで列は止まってしまった。バックヤードから誰か出てくる気配はない。店番が一人きりなんてことあるんだろうか。一列に並んだ者は皆、事態を傍観するだけで誰も隣のセルフレジに移ろうとはしなかった。動けなかっただけかもしれない。
「順番に並んでお待ちください」
静かな、地を這うような、きれいな声だと思った。
「あぁ?」
「順番に、並んで、お待ちください」
割り込みの男はスモーカーの前に無理矢理作った隙間に戻ろうとしたが、店員はそれを許さなかった。小さな子どもに聞かせるには少々圧が強すぎるが、まるでそう言い聞かせるように区切られた文節には怒りが込められている。日々ぐんぐん育っている盛りのスモーカーとほとんど変わらないような腕だと思ったのに、信じられない握力で客の腕を掴んでいる。後で怒られたりしないだろうかと心配になるほど。おれは待てるから別にいいと、他の客も待っているからと、自分が発するのが最も正しいような気がしてスモーカーが息を吸ったとき、店の奥からどんどこ意味不明な物音を立てながら転がり出るようにもう一人店員が現れた。
「ろ~~~~お!悪いドジった」
「コラさん、このお客様が割り込んでるんだ。後ろは子どものお客様だし」
ぱっと掴んでいた手を離した店員はもう一人にそう言った。さっきまでの剣呑とした空気が急に消えて、ほんの少し口調が丸くなった。尻もちをついていたコラさんとやらは「アイテテ」と言いながら立ち上がり、そうすると背の高い店員より頭ひとつかふたつ分さらに高い位置になって、割り込みの男を見分するように見下ろした。目つきは柔らかそうだが体が大きすぎる。ラグビーとかバスケットとか、レスリングとか、そういうものを彷彿とさせる体格は、不躾な客の戦意を早々に喪失させた。
もう一人の登場でレジに戻った店員は淡々と会計を続け始めた。誰もが皆はっとして、列に戻り同じように前を向く。コラさんと呼ばれていた店員はスモーカーの方を向いてニカっと笑い、大きな手で、つんつん跳ねている白髪を撫でた。
「悪かったなぁ~。順番だからな、もう少し待っててくれ」
「大丈夫だ、急いでないから」
普通、セルフレジは客が増えるとセルフでなくなる。このコラさんが隣のレジに入ればもう少し回転数が上がるのではなかろうかと思ったが、踵を返したそいつがずるんと滑って転げたので、スモーカーは思い直した。この店員はレジに入ることを禁じられているのかもしれない。用心棒としてここに勤務しているだけで、だから一人だけが黙々とレジをさばいているのだろう。
あっけに取られているとコラさんとやらは青いカゴをひとつ取ってスモーカーに渡してくれた。いい人ではあるらしい。
規格外に大きな店員がバックヤードに下がってしまうとすっかりさっきまでの店内に戻った。ラジオだか有線だかが小さく流れる中をじりじりと進むしかない列。だがあと3人くらいになるとあの声が耳に入った。
「ポイントカードはお持ちですか」
「袋は必要ですか」
「あたためますか」
「お支払いは」
優しくはないが丁寧な語り掛けだ。低く静かで、速さがないにも関わらず焦ったり苛々したりもしない平坦な。スモーカーの番になると黙ってカゴの中を見つめ、すっとその場を離れて売り場からサンドイッチを持って来てくれた。「別にいい」と申し出たが、床に落ちたツナとタマゴをそっと後ろに下げられ、アリガトウゴザマスと変に強張った礼がこぼれた。ピッピッと続く電子音の中、名札を盗み見た。「トラファルガー・ロー」と白いプレートに書かれていた。列の最後尾に新たな客が加わっていた。それでも変わらぬ落ち着き払った態度に、
「ずっとここで働いてるのか?」
と思わず聞いてしまった。ゆっくりとしたペースで、しかし手は止めず、大サイズのビニール袋を開いた店員はちらりとスモーカーの顔を見た。声もだが眼もきれいだった。クザンが時折飲んでいるコーヒーの缶が光ったときの色だった。スモーカーは急に、自分がひどく恥ずかしいことを聞いてしまったのではないかと焦った。手のひらにじわりと汗が滲んで、クザンのメモを握りつぶした。
「春休みに入ったから、休みの間だけ働いている。社会勉強だ」
怒るでも茶化すでもなく、トラファルガー・ローはそう答えて袋詰めを終えた。大きく膨らんだそれと空の専用カップをスモーカーに寄こして、「ありがとうございました」と彼は言った。後ろの人が今か今かと控えている。スモーカーは口の中でもごもごと「また来る」とレジ前を次の人に譲った。
コーヒーの機械にカップをセットして、こぽこぽと茶色の液体が落ちる間、またこっそりとレジのトラファルガー・ローを見ていた。横顔は鼻筋が高かった。薄い唇はどの客にも同じようにポイントカードの有無を聞いた。コーヒーが抽出される音に似合う声だった。もう出来上がるなと残念な気持ちが生まれたスモーカーを見透かしたように、サーバーがおかしな音を立てた。エラーだ。金の眼がこちらを向いた。自分のせいではないのに、スモーカーは耳まで熱くなった。
「お待ちください」
バックヤードのコラさんを呼ぶことなく、会計途中の客を待たせ、トラファルガー・ローはこちらへやって来た。小さなウィンドウのエラー番号を見て、機械を開けたりボタンを押したりして、あっという間に直してしまった。
「すみませんでした」
「お客様のせいじゃねぇ。よくある」
「ありがとうございました」
今度ははっきりお礼が言えた。ほっと胸を撫でおろすと、厚紙のホルダーに入れられ蓋をされたコーヒーを差し出された。
「またお越しください」
いつも寄るコンビニではない。たまたま休日の予定の途中だった店舗だ。または来ないかもしれない。だが幸いなことに、通う学校の区内だ。自転車で来ることのできる距離。にこりともしないその顔を目に焼き付けて、スモーカーはそれを受け取った。
「また来る」
助手席の扉を開けると案の定、保護者は行儀悪く足を上げて寝ていた。
「待たせた」
スモーカーの声を聞いたクザンは長い足をしまいながらアイマスクをぐいと上げてコーヒーを受け取り、にやぁと嫌な笑い方をした。
「なに、なんなの、可愛いお姉ちゃんだった?」
「うるっせぇ!」
ぱんぱんの大サイズの袋で殴るようにして助手席に滑り込み、スモーカーは思い切りドアを閉める。小学生の春休みが始まるのはもう少し先だ。