ばん、と音が鳴って、脳が右にゆれる。視界がぐるんとまわって、戻ったと思ったら目の前にあったのは床だった。右の耳がフローリングの冷たさにさらされて、一方で反対の耳は少しずつじんじんと痺れて熱を持ってくる。鼻の感覚がないけど、何かがたらりと鼻の下に垂れた。
殴られたと気づいたのは髪をつかまれて起こされてからだ。何かわめいて叱られているが、耳は音を拾えないし、目は腫れていて相手の顔がよく見えない。ぼけた視界の遠くの方で、お天気お姉さんがピンクっぽい傘をさしているのがテレビのフレームにおさまっていた。最高気温と最低気温と怒鳴り声の合唱ののち、痺れたままの左耳を今度は平手で打たれて、また床に転がる。
起き上がる気力もなくそのままだらりと横向きになっていると、いったん気がすんだのか、殴った男は自分の衣服を整え、仕事に行ってくると上着を羽織り、黒い大きな鞄のサイドポケットに同じ色の折り畳み傘をきっちり垂直に挿して出て行った。
生きているものの音がしなくなった部屋で倒れたまま動けない。いつの間にか天気予報は終わって、占いのコーナーになったみたいだった。てんびん座、今日のラッキーアイテムは数珠。頭はもう痛みを感じなくなっていて、だけど視界がずっとぐわんぐわん揺れている。おかげでテレビの端にうつった番組の丸いロゴが幾重にも複写されて、どことなく数珠っぽい。幸運なんかとは程遠いラッキーアイテム。葬式と法事の奴らはいいことがあるのかもしれない。鼻から垂れた血が床に落ちる。
ああ、拭かなくては。血はすぐに固まってしまう。
床を汚したままにしていたらまた殴られる。汚していなくても殴られるけど。
まとまらない思考のまま、なんとか上体を起こす。
早朝まだ寝ていたところ尻に玩具を入れられ、そのあと首を絞められながらセックスして、朝から濃すぎる交わりが終わってシャワーを浴びたあとだった。相手が仕事に行く時間だったからいってらっしゃいと笑ったら空気がひりついて、しまったと思った。
笑ったら殴られる時と、笑わなくて殴られる時の違いがいまいちよくわからない。でもどっちでもよかった。わかる気もなかった。殴られるのは好きだから。
テーブルの上のティッシュを取ろうと思ったけど、ものすごく遠く感じられて、座り込んだところからそれ以上体は起こせなかった。視界と一緒に揺れたままの聴力がテレビの音を歪んで拾うのが気持ち悪くて、ダメ元で上に手を伸ばしたら、天板の端に置いてあったリモコンには届いた。占いが終われば番組そのものが終了だ。そうすれば始まるのは日本の台所にはおおよそ似合わない真っ赤な本体のミキサーのCM。細かく砕いたり、スライスしたり、すりつぶしたり、いくつかの材料を混ぜたり……一台でなんでもできると銘打たれたその機械を眺めるたび、中でぐちゃぐちゃになっていくものがだんだん自分の指や耳に見えてきて、手の甲がぞわぞわするから落ち着かないのだ。
伸ばした指で触れた隅の大きなボタンに力を籠めると、画面が真っ暗になる。昨日と一昨日と同じ、その調理機械をロールプレイする男の高い挨拶が途切れて、ようやく部屋の音が何もなくなった。
目も耳も外向きに使わなくてよくなると安心する。こめかみを流れる血の音、瞼の裏の赤と黒に集中するだけになると、不思議なことにあの男が恋しくなるのだ。さっきどんな顔してたっけ。ぼんやりした頭で思い出そうとするが、ぼやけた表情しか出てこない。おかしいな。ものすごくイケメンなはずなんだけど。ITとか、なんとか取引とか、そういう仕事をしてると言っていた。いつもいいスーツを着て、マンションもずいぶんな高層階。飲み屋の友だちから紹介されて、俺だって相当美人な自覚あるけど、滅多にないくらいの、整った顔のサラリーマンだった。自分と張り合えるぐらいの面の男なんて珍しくて、ちやほやされて、付き合って、誘われるまま家に転がりこんで。そこから世界は遮断された。そう、テレビがふっつり切れたみたいに。
約束したのは、家から出ない、ということ。つながれたりしているわけではないけれど、玄関から出て行かない限り、ベランダから逃げられるような階じゃない。その玄関はマンションのセキュリティで二十四時間監視カメラがまわっていると言っていた。スマホは預かられたし、家の中で行動を許された範囲に外と連絡を取る機器は置かれていない。そもそも、あいつ以外の誰かとつながりたいとか、そういう欲求が俺になかった。
たいした仕事をしていたわけじゃないし、家族とも縁が希薄な俺はきっと彼にぴったりだったんだと思う。相思相愛ってやつだ。体の相性もいい。
暴力的な男を好んでいたことは知っていたらしく、最初のセックスから殴ってくれた。
ペニスリングをつけられて、お尻を何度もたたかれ、そのたびに達した。
気を失いそうな気持ちよさのあと、一週間ぐらいは人が変わったみたいに優しくされた。手ずからご飯を食べさせられ、服を着替えさせられ、夜は髪を撫でられながら夢見心地で眠った。
そうして体も頭もぬるい愛情みたいなものにひたひたに浸かったら、今度は二週間ぐらい手酷くされる。殴られ、床に転がされ、蹴られて吐いた物は自分で片付けた。情事のあと裸のままベランダに出されたり、風呂場のシャワーヘッドにくくりつけられたままにされたり、今まで付き合った男の中でも際立って嗜虐姓の強い奴だった。
そんな男が自分の腹の中で息を詰めて絶頂する瞬間の顔がたまらなく好きだった。寄せられた眉と垂れる汗とを見るだけでもう一回イケそうだった。体の奥深くに熱を叩きつけられると雌になった。こいつは俺を殴る時も同じような顔をした。後からあちこち腫れるのは困ったけど、殴られる瞬間だけはその顔が自分に向けられて好きだった。あ、拳が来る、と思った瞬間にかち合った視線だけで、腹が疼いてたまらなかった。
それを繰り返されているうちに、その男の玩具として生きるのが幸せだと思うようになった。これを受け止められるのは自分だけだと。優しくされる期間はなおのこと、泣きながらひどい男でごめんねと言われたら、こいつには俺しかいないと、自分で自分に刷り込んだ。
この日はそんな穏やかな期間が終わって五日目ぐらいだった。今回は派手に左側ばかり殴られて、まぶたも頬も腫れがなかなかひかなかった。何とかして立ち上がり、ティッシュを取って、床と、鼻を拭く。あいつが帰ってきたらきっと朝までセックス漬けだろうから、寝られるうちに寝ておこうとふらつきながら寝室へ行き、ベッドに倒れこんだ。
がちゃんがちゃんと乱暴に扉を引っ張る音で目が覚めた。あのまま昏々と寝ていたらしい。体はだるいままだ。
家主は鍵を持っているはずだから宅急便でも来たのかと、ありもしないことを考えてみる。目と耳の調子はさっきより幾分ましになったようだけど、まだ眠いせいか頭がまわらない。シーツに手をついて起き上がろうとしてみたが、力が入らなかった。寝転んだまま考える。宅急便は下のロックを解除しないと入って来られないし、その開け方を俺は教えられていない。そもそもこの家に来てから宅急便など一度も来たことはなかった。
ぼーっとしている間も扉がずっと音を立てていたが、そのうち諦めたのか静かになった。
一瞬のち、かちりと鍵がまわる。あれ、これはまずいんじゃないかと思っている間に複数の無作法な足音が上がり込んできた。
どかどかどか、聞こえる数から想像するに四、五人、おそらく靴も脱がずに入ったのであろう無粋な音は、家主が仕事に使っている部屋の方へ入って行った。壁ごしにあちこちひっくり返す音がする。紙を落としたり集めたり、引き出しを開け閉めしたり、パソコンのコードを抜いたり。
あいつ何かミスったのかな。仕事中の横顔が思い浮かぶ。液晶の光を反射する目。時々ちらりとこちらを見て笑う口元。ほんと、俺の次ぐらいにはいい顔だったんだけど、どうしたんだろう。心配したら急に悲しくなって、ぽろりと目から涙がこぼれた。
寝転んだまま流れる涙をそのままにして、だんだんセンチメンタルな気持ちに浸りかけていると、足音がひとつ、こちらの部屋を開けた。視線をやると黒いスーツの男と目が合う。もう一人同じような風貌の男がやってきて、二人でこちらを見ながら嫌な笑い方でなにやら耳打ちしあった。
よくないことが起こる予感しかしない。
だだ、そうだとしても、それでもいいのかもしれない。どうでもよくなって目を閉じると、聞いたことのある声がした。
「それ、俺のだから。あっち行ってて」
ふ、と頭を上げる。他の二人を追い払って頭を屈めて入ってきたのは、久しぶりに見る弟だった。
「見つけた、兄さん」
俺と同じ色の目にとらえられて、息が詰まった。
体ががたがたと震え始める。条件反射だった。恐怖と痛みを愉悦として俺に教え込んだ弟。ここ二年ほど、逃げ続けてきた弟。
「イケてない奴につかまるの好きだよね」
大股で近づいてくるその顔から目が離せない。最後に会った時と少し印象が違ったのは、襟足から耳のあたりまで刈り上げられているからか。
そんな髪型するんだ、と間抜けなことを思ってみるがとても口にはできなかった。
弟はベッドのそばまで来て、俺の顎を軽く持ち上げ、腫れた頬をまじまじと見た。その手首でじゃり、と揺れたのは、かつて弟のファッションでは見たことのなかった、数珠。
「兄さんの顔をぐちゃぐちゃにしたい気持ちは共感できるなぁ。でもダメ。全然イケてない」
ばち、と電気が走って体が左へ飛んだ。遅れて右の目がちかちかする。数珠の石が当たったのだろう、目のふちがへこんだ気がした。
「今度の奴は、ちゃんと痛めつけてくれたんだね。よかったね兄さん」
ラッキーアイテムって何のことだったっけ。思考が現実から逃げようとしていた。数珠って冠婚葬祭以外でもつけるんだ。ああ、パワーストーンとかそういうことかもしれない。
頭をつかまれる。弟はベッドに乗り上げて、舐めて、と言った。
逃げていた左右の視線が弟に向かって一気に集まる。歯がかちかち鳴る。なのに、耳の奥から熱くなっていくのがわかった。鼓膜のあたりで生まれた熱が、顔の真ん中へ伝わり、喉の奥へと流れていって、腹の底へと広がる。これからすることに体が期待をしてる。
弟は真顔でつかんだ俺の頭を股座へ導いた。
震える指でスラックスの前を開ける。重力に従って下を向いたままのものを取り出し、口に含んだ。生暖かくてやわらかい。俺に何の興奮もしない、落ち着き払った血流。含んだまま、口の中に唾液を溜める。それを舌で塗りたくるようにしてから啜った。懐かしい体臭が鼻腔に広がると、恐怖の後ろから、違う感情が顔を出す。お願い、少しでいいから性感を感じて。血を送って勃起させてほしい。ぼろぼろの姿を冷えた局部で見放されたら、俺にとってはこの世の終わりだ。鼻の奥がつんと痛くなるのを感じてごまかすように空気を吸う。泣いても弟は昂らない。
必死になって唇で扱くとだんだん熱を帯びて硬くなってくる。舌を押し返してくる弾力を感じて安堵するのと同時に、自分の下半身が熱くなった。
舌を伸ばして竿をざりざり擦りながら、喉奥で絞るように吸い、今度は頬を緩めてギリギリまで押し出す。喉奥へ吸い込むたびに大きさが増して、圧迫感が強くなる。
口いっぱいに膨らんできたところで一度離すと、弟のそれは立派にそそり立った。浮かび上がった血管が太い。どく、どく、と拍動するのがはっきり見える。
「みとれてんの?」
じっと見てしまった俺の頭をまた弟がつかむ。唇にぴたりと熱い切っ先がつけられて、促される。鈴口に滲んだ液体を舐めとると、弟の顔が不機嫌にゆがんだ。
「まだ仕事の途中なんだからさ、そんなじっくりやってる場合じゃないでしょ」
頭を掴む腕にぐっと力が入って、先を舐めていただけのものが口の中に押し込まれ、さらに喉奥へとたたきつけられた。一瞬気道を塞がれて鼻からぐふ、と変な息がもれる。
「ほら、がんばって」
両手で頭を掴み直されて、口蓋のさらに奥へと入れられる。
嘔吐いてしまうも許されず、食道からあがってきそうな胃液を戻そうと喉を締めてしまう。そうすると丸い頭のやわらかさがふにふにと感じられて全身がざわついた。粘膜の感度が上がる。気持ちが高揚する。
そんなことはお構いなしに、弟は俺の頭を揺さぶった。がつん、がつんと喉が押される。鼻から抜ける空気が生臭い。歯を立てないように必死に唇をすぼめ、舌の根本を広げたり狭めたりして弟が早く気持ちよくなれるよう吸い付く。時々おぇ、と汚い音が漏れたが止めてはくれなかった。
奥の奥まで突っ込まれると頭がぼうっとしてきて、もしかしたら弟のこれをこのまま飲み込んでしまえるんじゃないかなんて馬鹿なことを考え始める。飲み込んで、胃の中で溶かして。
「集中して。へったくそ」
逸れた意識はすぐに戻される。
胃液がせりあがってくるたびに上からたたきつけられて塞がれる。ただの穴になってしまった俺の喉に、何度も何度も容赦なく熱い塊が押し入って、息も吸えない。咳き込みたいのにかなわなくて、逃げ場を求めて鼻水が噴き出る。飲み込めない唾液で口のまわりはぐちゃぐちゃだ。それでも弟がイキそうな気配はない。
「相変わらず変態だね」
急に口を圧迫していたものが抜かれる。一気に空気が入ってきて、激しくむせた。
酷くされていたのにぱんぱんに張った下半身を、足で押されて呻く。
弟は苛立った様子でため息をつくとスーツのポケットから煙草を取り出し、火を付けた。もう一度ポケットに手を入れ、今度は薄いプラスチックケースを取り出す。
知っている。それは。
「手、出して」
シーツを指して言われるが、肘から先が固まってしまった。かつて何度も体験した感覚が手に記憶されている。ぶるぶると震える俺の手を遠慮なく弟が掴んでシーツに置いた。
「やめ……てくれ……」
掠れて声にならない。
弟は初めて少しだけ笑うと、ケースの中から細い針を取り出した。息が詰まる。冷や汗が噴き出す。白いシーツの上で暴れそうになる俺の手に、弟がゆっくりと尖った先端を当て、爪と指の間に、刺した。
「っぐぅっ……!!」
二年ぶりの痛みに体中が毛羽立つ。小さな点のすさまじさ。息が止まる。目がチカチカする。爪の側面からが生まれた火が一気につま先までを灼いたかと思うと、触ってもいないのに達してしまっていた。時間が経っても、教え込まれた体は与えられた痛みに素直に反応した。灼熱が通り抜けた下半身は、吐き出した体液で鎮火しきれずぶすぶすと燻って、気管を通る空気が煙たい。はー、はー、と吐く息は唇が火傷しそうなほどの温度だった。
「気持ちいいね、兄さん」
さっきこらえた涙がぼろぼろ溢れ出し、弟の表情が見えなくなる。様々な感情がぐるぐるに混ざってつかめなくなる。頭ではいいんだかよくないんだかわからないのに、理性と別のところが悦んで血が沸き立っていた。よぎる真っ赤な機体、回る銀のブレード、つぶれてかき回される豚肉。そうこれは下ごしらえだ。刺された点から指の付け根まで、針が肉を貫いているような感覚になって気づく。無意識のうちに待っていたのは、もしかしてこれかもしれない。あのネットショッピングを見るたびに。
「お仕置きなんだかご褒美なんだかこれじゃわからないな。ほら、俺まだなんだけど」
「ごめ……」
針を刺したままの手をそっと撫でて、暴れたら危ないよ、と呟き、弟は再び俺の髪に指を絡めた。
口を開けると、いいこ、と弟がまた笑って、ためらいなく怒張を突っ込んできた。吐きそうになる喉を宥める。首から下の力をなるべく抜くようにして、ただしゃぶりつくことだけに集中する。性器として完成された口腔はこうして使われることが一番しっくりくるような気がした。
後頭部まで貫かれるんじゃないかと思うほど、奥深くまで何度も何度も挿入されて、擦られる粘膜が気持ちいい。頭皮から湯気が立ち上る。揺らされるたび、手首の数珠が耳に当たって石がぶつかる音を立て、余計に煽られた。
苦しい、痛い、気持ちいい、それしか考えられない。ぐいぐい頭を押さえられ、酸素が足りなくなって意識が朦朧としてきた時、弟が指に刺さったままの針をとんとんと触った。
「っ……!」
痛みで喉が締まる。狭くなったそこを限界まで膨張した熱い塊がこじ開けて何度か奥にぶつかり、ついに弾けた。
どく、どく、どく、拍動とともにどろりとした精液が喉奥へ流れ込む。匂いが鼻から抜け、涙がまた零れた。
最後の一滴まで俺の口に流し込んで、ようやく弟は陰茎を引き抜いた。
煙草の煙とともに大きく息を吐いて、服を直す。ぐしゃぐしゃになった俺の髪をすいて、手を取り、針を一気に抜く。爪と指の間にぷくりと血液が膨れたのが見えて顔が歪んだ。
「いい顔。続きは仕事が終わってからね」
指先を咥えられてじゅる、と吸われると、痛みとは別の痺れが関節に広がってぞくぞくした。これは恐怖なのか、期待なのか、恐怖だけだなんて言いきれる自信はもうどこにもない。
「久しぶりなんだから、ゆっくり遊んであげる」
目を細める弟に手を伸ばす。頭の奥からはもうずっと、逃げろと警告が聞こえているのに、無視した。髪に触れる。振り払われなかったから、そのまま頭に顔を寄せ、刈り上げられた後頭部に鼻をうずめた。短く尖った髪が押されて倒れ、地肌の感触が熱い。深く吸い込むと、脂と煙草の匂いがした。
「キモい」
引きはがされて、ベッドに戻されると、また勝手に脳が映像を再生し始める。肺いっぱいに広がった弟の脂を集めてフライパンに引く。透明な容器の中で細切れになった肉をまとめ、成形して、その上へ。じゅっ、っという始めの音、ちりちりと焼かれていく姿。呼応するように刺された傷がじくじくと騒ぎ立てる。
まだ家探しの音がする部屋の方へ戻っていく弟の後ろ姿を見て、ああ家主はもう帰ってこないのだろうと思った。結構好きだったのにな。そんなことを思ってみたけど、気に入っていたはずのあの男のイキ顔は、もう思い出せなかった。
弐
家主のいない間に大量の紙類やパソコン、カメラなどを回収して、黒服の男たちは引き上げた。俺は押収される物の一部だったらしく、当然のように家から出された。着替えも荷物も持たされず、身一つ。元々、私物なんかなかったのだけど。特に無体に扱われるわけではなかったけど、かといって大事にされるわけでもなく、荷物とともに黒いバンに連れて行かれた。
殴打の後ろで垂れ流していた予報より、外の体感温度は低く、雨はあがっていたものの、今にも大きな雫がぼたりぼたりと落っこちてきそうな重い雲が垂れこめていた。目に見えるか見えないかくらいの細かい水滴が、空気に混ざって漂っている。そういえば空を見上げたのなんて、久しぶりだった。
目線を落とすとマンションの前の通りを、傘を開こうかどうしようか迷いながら歩くスーツ姿がいくつか目に入る。住居の前が大きな通りだったことすら忘れていたし、今が普通の人間なら働いている平日の昼間だということも、初めて認識した。ピンクのお天気お姉さんがにこやかに告げた「気を付けていってらっしゃい」は彼らに向けられていたのだろう。どこかからバン!と傘を開く音。これまで閉じ込められていた異常に穴が開いて、世間の空気が勢いよく体に吹き込んでくる。寒い。日常は寒い。ぶるっと肩を震わせると、さっき濡らした下着のひっついた股が冷たかった。
座席に座ると、両隣を弟と同じスーツの男が陣取る。車のドアが閉まると、せっかく吸えるようになった新鮮な空気が、また断たれる。スーツ地から香る煙草が、一度換気された体内に溜まり始める。朝まで生活を共にしていた男とは違う異常が足を捉えた。
近くで見ると、隣のスーツ達は弟とまったく同じではなかった。弟の着ていたのはもっと仕立てがいいように見えたから、もしかしたら、この男達より立場が上なのかもしれない。そういえば寝室に入ってきた時、ただ一言で他の黒服を下がらせたことを思い出す。どんな仕事をしているのか、なんて二年逃げ続けた俺が何か言えた義理ではないが、どう見てもまともそうじゃない雰囲気とか、刈り上げられた頭とか、似合いすぎていて悲しかった。
誰も一言も話さない車内で一~二時間揺られただろうか、目隠しをされてさらに運ばれる。雲の底に留まっていられなくなった雨粒がとうとう落ちて、ボンネットや窓ガラスを叩く音が聞こえ始めたころ、段ボール箱の山とともに降ろされた。
両目を覆っていたものが取り払われ、まぶしさに目を細めると、そこは会社の一室のようだった。部屋の広さに対して大きすぎる革張りの応接ソファとテーブルが真ん中に鎮座しており、人ひとり通れるか通れないかの隙間を開けて事務机が配置されている。安っぽい板張り風の壁際には、ところどころ枯れかけた観葉植物がぐだぐだ列を乱していた。反対側の壁際にそびえるのは書類棚。弟の手首に嵌められていた数珠に似た石で作られた置物が、何種類かガラス扉の向こうに並んでいる。なんとなく、堅気じゃない人間はそういうものを好んで置いたり身に着けたりしているイメージがある。つまりは、と頬を打った石の硬さを思い、何の根拠もない偏見だと頭を振った。
俺は机と書類棚の間にある扉を通って奥の部屋へ連れて行かれ、仮眠室とシャワールームになっているそこで野菜みたいに丸洗いされた。さっき弟に咥えさせられた時に、はしたなく下着に出してしまったままで気持ち悪かったから、着替えをもらえたのは助かったけれど、上下グレーのスウェットは寸足らずで頭の悪い学生みたいだった。
見ず知らずの奴に隅々まで洗われたのは恥ずかしかったし、ずっと傍についている二人の黒服がものすごく手際がよくて、こんなことは日常茶飯事に行われていることなのだと思い至ったら、余計に現在の弟の背景がほの暗く見えてしまって沈んだ。
ご丁寧に髪にドライヤーまであてられてから、応接用の部屋に戻された。
促されてソファの中央に座ると、黒服は俺の爪にマニキュアを塗り始めた。二年前にはまだ好んでつけていた、えんじと緑。
さっきまで付き合っていた男はネイルが好きじゃなかったから、しばらく塗っていなかった。久しぶりにあざやかに彩られると悪い気はしない。両手両足の爪を全て塗り終えると、乾くまで触らないよう言って黒服は部屋を出て行った。靴と靴下はそのまま持っていかれてしまった。
一人にされて、つるりと滑らかに仕上げられた爪を眺めていると、続きは仕事が終わってから、と言ったさっきの顔が思い出されて指先がざわつく。
これを塗るよう指示したのはたぶん弟だ。
針を刺されたところにじくじくと居座る痛みが急にぶり返してきて、せっかく薄れていた恐怖が戻ってくる。楽しみも哀れみも宿らないあの目で与えてくるものは、体が悦ぶかわりに頭がひどく混乱する。いっそ面白がって痛め付けてくれる方が楽だなんて、どうかしていると思う。
かちゃり、と静かにドアノブがまわって弟が姿を現した。わかりきっていたことなのに心臓が跳ねる。
弟は一瞬こちらを見ると、体を横向きにして狭い隙間を通り抜け、慣れた様子で財布とスマホを事務机に放った。脱いだジャケットとネクタイも丸めてその上に置いている。
なにを言っていいかわからない。久しぶり、元気にしてたか?……違う。突然いなくなってごめん?いや、それもおかしい。焦る頭を放って、机に置かれていた郵便物を確認する弟の動きを目で追っていると、首元のボタンを開けながら、しばらく会わなかったことなどまるでなかったようにその口が開いた。
「爪、乾いた?」
「え、あ?あ、たぶん……」
まったく予想していなかった質問に語尾がしぼむ。弟はそう、と簡単に言って引き出しを開け、ラジオペンチを手にした。
一瞬その工具がいったい何だったか、理解ができなくて凝視する。目がそれの形をなぞった途端に背筋にぞっと寒気が走った。風呂であたたまった背中が急激に冷えていく。無言で近づいてきた弟は中央のテーブルに静かにそれを置いて、両手で俺の顔を強く挟んだ。手首の石がまた口元に当たる。
「そんな顔するなよ。腫れたままだから余計に不細工だよ」
弟のうざったそうな表情に釘付けになっているとゆっくりゆっくりその顔が寄ってきて、弟の額に俺の前髪が当たって、息がかかった。何も考えず目をつむったら、どすんと股座にかかる重み。腹筋が驚いて引っ込む。靴を履いたままの足がスウェットごと陰茎をつぶしていた。
「キスされると思った?こんな状況で?この悲壮な顔は見せかけなの?まともじゃないのはどっちだよ」
ぐりぐりとそこを踏みつけられ、腹の中身が飛び出そうな吐き気に襲われる。急所を壊されてはならないという本能からか、血が集まって硬くなっていくのがわかった。恥ずかしくて顔にも熱が生まれる。弟が嘲るように笑って、強く力をかけていただけの動きが変わる。
「ぅ、ん、ん、…っふ」
「ほんと変態だな」
靴底を強く弱くなすりつけられ、鼻から息が抜けた。痛みと代わる代わるに与えられるやわさは飛び抜けた気持ちよさだ。罰されて許されて、どうしようもない背徳感にぐんぐん追い上げられる。完全に勃ちあがってスウェットに染みを作る頃には、根元の後ろの方がうずき始めてしまう。弟の言う通りだ。こんなことで解けていく体は普通じゃない。俺にはあの大通りを吹いていた空気を吸う資格がない。
否応なしに高められるのが情けなくて、いったん止まってくれと弟の脛を両手でつかんだら、いきなり足は取り上げられ、宙を掻いた手を逆につかまれた。
「え?」
暴力的な負荷がなくなって戸惑っている間に、取られた手はテーブルに縫い付けられていた。そういう時はいろんなものが不思議とスローで見える。少しでも危険を回避しようとする脳の働きなんだと思う。裏腹に体はちっとも避ける動きを取ってくれない。
出番を待っていたラジオペンチの柄を太い指が拾い上げて、すべるように手の平に収めたと思ったら、先っぽに緑色の爪がはさまれていた。
「新しい服を汚したらダメでしょ」
ひっぺがされる、と思ったのは過去にされた経験があるからだ。普通の人間はそんなこと咄嗟に思い付かない。普通じゃない俺はそう直感したと同時に、股の中心が一段と存在を主張したことを自覚した。
さっき針で刺された傷口にペンチの先がめりこんで激痛が走る。記憶の中から脳が勝手にめくれる爪の映像を掘り起こしてきて、グロテスクで思わず固く目を閉じると、弟に髪をつかまれた。
「ちゃんと見て」
非情な声に恐る恐る目を開けると、視神経が金属にはさまれた爪の画を新たに記録し始めて、脂汗が額に浮かぶ。
手首を掴んで固定し直した弟が、道具を握る手に青い筋が浮かぶほど力を込めた。
音はしていないはずなのに、指先から鼓膜まで神経が震えて、ばりばりとはがされる音が激しく耳に響く。息は吸ったが声が出ない。口から吐き出せない衝撃が逆流していく。
痛い。
押さえられた手首から先がびくびくと脈打って、五本の指が全部バラバラになったような錯覚に襲われる。手を離してくれと言いたいのに、開いた口からはぼとぼと涎が垂れるだけ。
緑色だったところがなくなって、隣の紅と似たような色になったやわらかい面にぷつぷつと血液が浮いてくる。見たくないのに開いた瞼も眼球も動かない。丸く膨れた赤に見入っているうち視界に赤と黒が点いたり消えたりして音が聞こえなくなった。
初めておかしなことになったのは高校3年生の時だった。俺はもともと男に抱かれるのが好きだったけど最初からそんなにハードなのを求めていたわけじゃない。
夏休みにあんまりよくない友だちに紹介された男と付き合ったら、そいつが首を絞めながらセックスする奴だった。あんまり怖くて泣きながら締められてたら、空気がなくなって生きていることから投げ出される感覚に脳みそが蕩けてはまってしまった。刷り込みというのは怖い。何度かされるうち、それは気持ちのいいことだと若い体は簡単に覚えてしまった。締める、つねる、平手で打つ、切り傷をつける……バリエーションも少しずつ増やされて、飽きることはなかった。夢中になってしょっちゅうそんなことをやっていたら、夏休みが終わる日に弟にばれた。もしかしたら最初から知っていたのかもしれない。派手な締め跡が消えなくて、九月からどうやって隠そうなんて馬鹿なことしか考えていなかった俺は、へらへら笑いながら「どうやって学校行ったらいいと思う?」なんて弟に言った。
そうしたら思い切り引き倒されてボコボコに殴られた。痛くて勃ってしまって心底軽蔑した目で見られて、めちゃくちゃに抱かれた。俺は三回ぐらい精液を出して、なのに弟は一度もいってなくて、もう出ないって泣いたら、中指の爪を剥がれた。剥き出しの神経を灼かれたような痛みで腹の中が痙攣して、やっと弟が終わってくれた。
ぐちゃぐちゃのままへばる俺を見下ろして、兄さん変態だね、と弟が言ったら、それで付き合ってた男の顔は一瞬で忘れてしまった。
しれっとした顔で爪のない指を手当てする弟はなにひとつ悪びれていなくて、かといって楽しそうなわけでもなかった。それ以来与えられるようになった痛みや苦しさはものすごく気持ちがよくて。でも単純にそういう行為が好きなのか、それとも他に目論見があるのか、まったくわからなかった。日々ぞろりと少しずつ不格好に生えてくる新しい爪を見ていると、今までと違う生き物に作り変えられていく気がして恐ろしく、いてもたってもいられなくなって逃げ出した。
まだ学生だったから、逃げるといっても友人やその日その日で出会った誰かの家を渡り歩くだけで、二ヶ月くらいで簡単に見つかって連れ帰られた。
大学は弟と物理的に離れられるから遠くを選んだ。でもそうすると俺は支柱を失ったつる植物みたいになってまた首を締めてくれる男を探してしまった。こんなの変だから、とにかく普通の恋人ごっこがしたかったのに、いつもすぐに見抜かれてしまって、そういうのを嬲るのが好きな男しか寄ってこなかった。
酷くされると相手を受け止めてあげられた気がして嬉しくなって、それでペットみたいになついた頃、だいたいいつも弟が見つけに来た。
連れ戻されるとまた痛めつけられながら悦がる日々に漬けられる。でも弟のことは受け止めてあげられたなんて思えたことは一度もない。
ずっとその繰り返し。
俺が逃げるのがだんだん上手になって、二か月だった逃亡が三か月、半年、と伸びていって、二年も見つからなかったのは初めてだった。
「汚したらダメって言ったのに」
咎める声で現実に戻される。その目線を追うと、スウェットの股部分がべったり濡れていた。それなのに膨らみはそのままで、まだ周りの生地を思い切り引っ張っている。
「どうしようもないちんこだな」
耳元で言われてどぷりと涙が浮かぶ。
そう、一番まともじゃないのは自分だ。
堰をきったようにぼろぼろと涙がこぼれる。痛いのと情けないのと、なのに体が疼くのと、全部ぐちゃぐちゃでおかしくて、目の前の弟にすがり付いてしまいたい。
「泣いてどうすんの。見つけてほしいくせに、見つかりにくいように隠れるってマジでうざい」
呆れてため息をついた弟に滲んだ視線を向けたら、ペンチの先に挟んだままの、血の付いた鱗のようなそれを、べろりと舐めていた。
「ほんとクズ。だけど爪は綺麗だな」
本当は知っている。なにより恐くてなにより欲しいものはこの、俺を蔑む目。最初に生死の間でセックスした時から、弟にしてほしかった。なのに望んだ以上のものを与え続けられると、新しい爪と一緒に罪悪感が育って逃げてしまう。いつもいつも。だって弟は望んでやっていることじゃない。
「馬鹿な兄さん。とりあえず、続きしようか」
指さされたそこは、まったく萎む気配がなくて。ぼとりと落ちた涙が爪のあったところに一瞬広がって、沁みて痛かった。
ソファに座った弟に促され、床に膝をついて下半身に手をかけると、わずかに膨らんでいるだけだった。こんなに痛いのに期待であふれて涎をこぼしている自分のものとの温度差に落ち込む。
「興奮してると思った?ほら、ちゃんと勃てないとできない」
そろそろと前をくつろげ、ぬるく頭をもたげているのを取り出して舌を添わせ、つるんと口に入れる。唇で歯を覆って吸い込み、丁寧に唾液をまとわせる。少しずつ硬さを増してくるのを舌と口蓋で挟んで出し入れする。
「挿れてほしいなら後ろもして」
せっかく履かせてもらったのにまた汚してしまったスウェットと下着をおろされ、尻を出される。いきなり水気のあるものがかけられて、驚いて口を離して見たら、雑にローションを垂らされていた。
爪がそろっている方の手を伸ばして後孔に指を入れる。さっき洗われたからか、楽に二本入ってしまって恥ずかしい。自分で中を触りながら弟のものに再度しゃぶりつく。先ほどより幾分重みが増していて、顔を見上げると冷たい視線と目が合ってたまらないと思った。調子に乗って三本目の指を入れてしまう。
「失礼しまーす!」
ノックもなしに大きな音を立てて扉が開く。事務服の女の子が入ってきた。驚いて頭を上げようとしたが、それは弟の手で阻まれる。横目で見えたのは落ち着いた色の長いウェーブの後れ毛とピンクのリップグロス、丸くて大きめのメガネの下半分。
喉奥まで届く大きさになった弟のものを根本まで含み、膝まで服を下ろして丸出しの尻穴に指を突っ込んでいる姿があのメガネの上半分にうつっているんだろう。どっと汗が吹き出す。弟は止まるなとつかんだ頭を揺さぶった。
「はい宇髄さん、これ書類。置きますね~」
事務員の子は特に気にした風でもなく、弟がそうしたように体の向きを横にして、丸く張り出した尻を左右に振りながら机の前まで行って、封筒を置いた。
一定のリズムで押されるのに合わせて口の中から乱れた音がするのが恥ずかしい。後ろに入れた指が止まっていたことはすぐにバレて、腕をはたかれた。視界の端にある事務服はなかなか動かない。用が済んだなら早く出てってほしい。口に集中して意識から追い出そうとしたのに、その子はソファ横を通り抜けず、弟と俺の横で立ち止まった。緊張して尻の穴がぎゅうと締まる。
「いいなぁ~。宇髄さん私もぉ」
甘えた語尾で弟に寄って、そいつは四つん這いになっている俺の首に跨がった。人ひとり分の体重で押されて弟のものが喉の奥にはまり込む。咽頭まで塞がれて、胃の方から逆流してきたものの出口がない。口の中だけで嘔吐く感覚が繰り返し襲ってくる。
頭の上では女が弟と深く唇を合わせていた。舌を絡ませる音が降ってきて惨めなことこの上ない。女の鼻からわざとらしい艶めいた息が漏れる。弟が拒む様子はなく、その口に唾液をやっているらしい。時折、女の喉が鳴る。俺の首を固定している柔らかい尻肉の間がだんだんあったかくなってきて、こすりつけるように前後に動き出す。気持ち悪くてたまらなくて、ますます吐いてしまいたい。
「今日はダメ。また今度ね」
弟が低い声でぼそりと優しく囁くとようやく女が下りた。とっさに顔をあげて呼吸すると、吸うのも吐くのも喉で引っ掛かって、咳と一緒に涎と胃液が混ざって出た。女は俺を見てにっこり笑って、捲り上がっていたスカートを直して出て行った。
肩で息をしながら弟を睨む。
弟は口のまわりをぐいと手の甲で拭って、それを俺のスウェットでごしごし拭いた。
「なに?怒ってるの?今度あいつも入れてやってみる?兄さんと相性いいんじゃない」
背中にすりつけられた肉の感触が消えなくて、振り払うように左右に首を振る。
弟はつまらなさそうな顔をして、「乗って」と膝の上を指した。
体を伸ばして弟の上に跨る。さっきまで喉を圧迫していたものを握ると熱く硬くなっていた。ほしかったものが与えられるという喜びがじわじわと体に広がる。唾がわいてきてごくりと飲み込んだ。自分が気持ち悪い。あの女となにも変わらない。
痛みのない方の手で屹立の先を支え、腰を上げてゆっくりあてがう。後ろの口が嬉しそうにぱくりと開いて吸い付いた。乞うように弟の顔を見たら「いいよ」と言ってくれた。
はじめの違和感を逃すために短く息を吐きながら体重をかける。局部に弟の視線が注がれている。見られていると思うと力が入ってしまってあわてて深く呼吸する。大粒の汗が次から次へと背中を伝う。俺はこんなにどろどろなのに、弟の顔は涼しい。
ずる、と頭から首までを飲み込んで、いっぱいに引き伸ばされた口が苦しそうに、満足そうに小さく震える。膝が笑いそうになるのを耐えて、奥に進めるため角度を確かめる。
自分で体を落とそうとしたのより一拍早く、弟が服の上から的確に左の乳首をつねった。
「…っぃああぁっ!」
脊髄に電気が走って膝が屈した。想定していたよりも奥まで一気に入って、弾みで押し出されるように自分の鈴口から精液が噴き出た。急な絶頂に体がついていかず、太ももがぶるぶる痙攣する。
「あのカレシとどれだけぬるいことしてたの、ガバガバじゃん」
鼻で笑った弟が腰をつかんで前後左右に揺さぶった。早朝から激しくセックスしたばかりだったから確かにゆるんでいるのかもしれない。いったばかりでびくびくと蠢く腹の中で、怒張が前へ後ろへあたってだらしない声が出る。
「あぁっ!ぐ、ぅあっ……ん、あー……っ!」
気持ちよさにのまれそうになっていると、弟がペンチに手を伸ばしたのがちらりと見えて寒気がした。
「あー、ちょっと締まった。久しぶりだから一枚にしてあげようと思ってたんだけど、やっぱりもう一枚剥いどく?」
「やめ……ひっあ!た、のむ、からぁっ……」
「じゃ気合い入れて締めて」
平手で尻たぶをたたかれ、腹に力を入れるが、いきり立ったものが奥の行き止まりをぐりぐり押してきてすぐに力が抜けてしまう。
「お願いを聞いてくれる優しい弟でよかったね」
揺らされながら精一杯何度もうなずく。そのたびに汗と涙と鼻水が弟のシャツに散る。そんなことでは許されず、顔をしかめた弟の親指が下腹部に触った。ぐ、とめり込みそうな力で押される。
「か、はっ……!!」
「ちゃんと口で言って」
「や、やぁ……優しく……って、くれ……てあ、りが、と……!」
親指と、中で暴れる弟のもので膀胱と前立腺をはさまれたようになって、引くぐらい気持ちよかった。
「ございます、でしょ」
たいして嬉しくもなさそうに言って、弟はさっき爪を剥いだ方の手を捕まえ、爪がなくなった剥き出しの肉をぱくりと食べてじゅうと吸った。
「あぁあー……っ!!」
びりびりと指先が痛む。視界がびかびかして、内臓が引き絞れる。つられて腹の中も締まると、弟の凶暴な陰茎がひとまわり大きく膨らんだ。
「優しくされたらお返ししないとね、兄さん」
でないとイケないんだけど、とまた尻を叩かれ、すくみあがってしまった足の筋肉に動けと命じる。内臓はものすごく熱くなっているのに足先は冷えていて、まるで違う人間のものみたいで言うことを聞かない。下から突き上げられるのに合わせて必死で体を持ち上げるが自分の大きな体が恨めしい。
「ごめ、もっ……くび、しめて……」
姿勢を保てず弟によりかかる。首を絞めてもらえたら中も締まる。そう懇願したらするすると首を撫でられたがすぐに離されてしまった。
「これが消えるまで締めない」
ああ思い出した。朝あの男としたときに散々絞められたから、たぶんくっきり跡がついている。絶望的な気持ちになってぼろぼろ涙がこぼれた。こんなに自分勝手に逃げ回っておいて、都合よく締めてなんて頭がおかしい。
すがるように後ろ頭に回した手に短い髪が刺さる。申し訳なくなってもう一度大腿に力を入れて腰を立てる。
「健気にしてみせなくていいよ。萎える」
ぐい、と下半身の角度を変えられるといいところにあたってまた体がぐらついた。
閉じなくなった口に弟が指を三本まとめて突っ込んできて、舌の上をなぞって、さらにその奥を直に触る。数珠が押し付けられて歯に当たった。強烈な嘔吐感に我慢ができず、ごぼりと喉をいためつける体液があがってくる。
「゛おぇっ……!!お、゛あっっ!ぐ……!」
「ああ、これならいい、かも」
がんばって、と言ってまたそこを撫でるから鳩尾がひきつった。
留めるものがなにもなくて、弟の手を汚しながらびしゃと胃液がこぼれる。食道が灼けて痛い。饐えた匂いが鼻腔に入るとまた刺激になって嘔気がこみ上げる。
苦しくて働かない頭の隅で考えたら、丸一日何も食べていないから中身は空っぽだ。おかげでかまわずまた吐いた。
ぎちぎちと音が聞こえそうなくらい後ろが締まって、弟の形がはっきりと感じられる。こんな、体の中を空っぽにされて、下から弟に満たされる。久しぶりの屋外でほんの少し味わった普通の空気は、押し出されてもう残っていない。痛くて苦しくてしあわせだと思った。
「俺がしてあげないとダメでしょ、兄さんは」
「う、゛んっーっっ゛えっ……!!」
全部見透かされている。うなずけないから一生懸命胃液を出した。弟はただ優しい。いつだって自分でも気がつかないような望みを深部から抉り出して叶えてくれる。臭くて汚くて申し訳ないけど、もうどうでもよかった。
「いいよ。イけそう」
ぐるんと視界がまわってソファに倒された。弟が足を持ち上げて折り畳み、上から突き刺すように入ってくる。
「゛んーっ……ぅ、ぐ、う、゛うっっ……!!」
中が悦んでびくびくまとわりつく。もう一度喉の中をこすられて、頭と腹が同じ高さになっていたから簡単にごぼりとまた吐いた。何回もされたからか嘔吐感を追いかけて快感がぐるぐると渦巻きながらのぼってくる。内臓が全部ぎゅうぎゅうに捻れて弟のものが動けなくなるくくらい捕まえて。腹の奥に熱いものが叩きつけられて心底安心した。
最後は顔を横に向けていたから吐しゃ物は床に落ちていて、革のソファを汚さなくてすんだなんて、どうでもいいことを考えながら意識が薄くなっていく。弟のものが出て行って中が寂しいけど、もう体は重く沈んで動きそうもない。
石のぶつかる音がじゃりと聞こえて目だけやる。てんびん座、今日のラッキーアイテム。葬式も法事もないけど、あながち外れてはいなかった。そんなことをぼんやり思っていると、俺のつま先の色を舐めた弟が、次は足にしようね、と言って。歩きにくくなるから足の爪は勘弁してほしいと思った。